T18N-N12

■日経・原真子の高橋インタ(その3)

■滑っているときが一番生き生き
――改めてなぜ現役に復帰したのか
「引退を発表して4年、ニューヨークに留学し、ダンスショーに出て、話すのはあまり得意ではないと思いながらリポーターの仕事もした。いろいろな経験をして、やはりスケートを滑っているときの自分が一番生き生きしていると感じていた。
歌舞伎とコラボレーションしたアイスショーをする機会もあり、見せるスケートの可能性も感じた。そして、やっぱりスケーター、パフォーマーとして生きていきたいと思った」

「パフォーマーとして一番いいものを見せるには、体を一度しっかりつくり上げて、それを維持していく必要がある。そんなことに思いを巡らせるようになったころ、平昌五輪代表選考会を兼ねた全日本選手権を解説していた。
たび重なるけがでかつて跳べていたジャンプが跳べないのに観衆を総立ちにさせた山本草太選手や、三井住友銀行でフルタイムで働きながらキャリアを続ける山田耕新選手を見て、こういう戦い方もあるんだなと気づいた」

「スケートを軸にして生きていくなら、現役選手として追い込んでいった方がいい。年齢的にもまだ間に合う。だから、現役復帰した。
かつての自分は勝利を期待され、世界で勝てないなら選手をやめた方がいいと思っていたから、そこになかなか思いが至らなかった」

  • 最終更新:2018-12-15 14:06:38

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード